アプリが変わっても文章力は変わらない

ICT教育

 子どもたちのタイピング入力が上達してくると文章を量産できるようになる。
 実際に鉛筆で書くよりも早く入力できるようになるだろう。
 間違いもすぐに修正できるし、原稿用紙に書いたときのように、途中で間違えたら全部書き直しというような心配もなくなる。

 子どもたちが作文が嫌いない原因の一つに、こうした面倒な状況が嫌いということもある。
 修正の負担が減り、入力のスピードも上がれば、作文も少しは楽しく思えるかもしれない。

 そこで、タイトルの問題に突き当たる。パソコンやアプリの機能がいくら向上しても、文章そのものが上手になるわけではない。

 文章を書く力を育てるのは、鉛筆の手書きでもキーボードの入力でも同じ原理である。
 文法的に正しく、書き手の主張が明確で、読み手も正しく理解できるための文章を書くためのトレーニングが必要なのは同じである。

 日本語の文章を書くために、いくつかのソフトウエアやアプリがある。
 ソフトウエアやアプリが変わるたびに、その機能は学習しなければならないが、先にも述べたように必要に応じて学んでいけばいい。今後また新しいアプリができるかもしれない。
 あるいは、最近であれば子ども用のタイピング練習ゲームなどもたくさんタイピングが速くなったという子どもたちも増えてきている。(正しい打ち方をしているかどうかは、別問題だが。)

 それでも文章を書く能力は、変わらず教えていかなければならない。それも子どもたちの入力速度が上がり、発信力が求められる今の時代であれば、一層必要な能力となる。

 このICT活用能力が求められる時代で、アウトプットに必要な能力は、アプリの使い方ではなく、作文を書く(作る)能力そのものである。

 それがなければ、結局どれだけアプリが使えようが、読まれる文章にはならない。実際に、子どもたちが書いている文章は鉛筆で書いているときとそれほど変わりはないのが現実ではないだろうか。
 ICT活用という言葉に振り回されて、授業でも「文章+画像」というプレゼンテーション的な作品を作らせることは多くても、文章そのものに手を入れているようにな実践は、あまり聞かない。

 さらにはタイピングゲームだけが得意になって、ゲームの中に出てくる単語を入力するのだけは速くなっているという場合もある。(遅いよりはいいのだが、本質を忘れている。)

 せっかくの便利なツールを持ちながら、「何を書いていいか分からない。」「書くことがない。」と言って簡単な文章で終わっている場合が多いのも現実である。

 今こそ、作文能力の育成が喫緊の課題である。これに成功すればタイピング能力との相乗効果で子どもたちの発信能力は格段に上がっていくことだろう。

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