ICT教育の限界点を確かめる
誰一人として、何でもICTにすれば問題は解決するとはだれも思っていないだろう。しかし、従来の教育との線引きをどこに置くべきか答えが見えない。
そこであえて振り切って考えてみよう。
赤ん坊にタブレットPCだけを見せて教育することは可能か、と聞かれれば今のところそれは無理だという意見に賛成するだろう。
食事、排せつ、睡眠、どれもコンピュータ越しに言葉をかけたところでうまくいくわけがない。
乳児や幼児の教育において、ICTが活用できる場面に限界がある。
(あえて振り切って考えている、念のために繰り返す。)
反対に高等教育の中では、活用できる部分はとても多くなる。
従来の大学教育や高校教育だけでなく、社会人の学びにおいても、活用できることは格段に増えてきている。
こうやって0歳を起点に考えて、どこから何ができるかをていねいに見ていけばいい。
もちろん、今のPCのスペックを基準に考えるので、将来的には可能性は高くなっていくことはあるかもしれない。
箸やスプーンの持ち方は教育できるか、服の着脱、ボタンの止め方外し方は可能か、トイレでの排泄はどうか、食事の仕方はどうか、いずれも難しかろう。
本の読み聞かせはどうか、数の概念の定着はどうか、これはできるかもしれない。
運動技能の向上はどうか、絵画や音楽の技能はどうか。記録したり、手本を示したりすることはできるかもしれないが、教育は難しいのではないか。
年齢が上がるごとに、ICTを活用できる場面は増えてくるだろう。
しかし、それもICTを使うべき、使えないこともない、使わない方がいい、使えないと実は段階がいくつかあるはずだ。
書籍と比べて、ICTの方がいい、同じなのでどちらでもいい、本の方が優れている、と他の媒体との比較もあるだろう。
特に直接体験との比較は検討が必要である。
これまでもテレビでの映像によって、直接体験が難しいものを代用してきた。学校だけでなく社会全体が、テレビによる恩恵を受けた部分は大きい。
しかし、ICTであれば、そのコンテンツの量が格段に増え、しかも個人として活用が可能になる。それがいい面もあれば悪い面もあるだろう。
教育におけるICTの活用は、一括りには判断できない。
まず形から入れというような、今の状況の中ではていねいな検証が必要である。