そろえないと困るのか(掲示物編)

働き方改革

本当にそろえないと困るのか

 学校の中では、いろいろなものをそろえようとする人がいる。管理職にも学年主任にもいる。ベテラン教師にもいる。若手にもいるかもしれないが、若手の方が口を出すことが少ないためか、あまり目立たない。

 一度考え直してみよう。
 本当にそろえないと困ることが生じるのか。
 それは誰が困るのだろうか。

 教室掲示の位置をそろえようという学校がある。
 教室掲示をそろえるとどんなメリットがあるのだろうか。(はっきり言って、自分には分からないので、かなりがんばって考えなければならない。)

 これがコンビニや系列のある店なら分かる。どこの店に入ろうとも、大体同じようなところに同じようなものがないと、購入の際に面倒である。

 しかし、学校では子どもたちが違う学級に入って活動することなどほとんどない。
 子どもにとっては、隣の学級がどのような状況であろうとも(ましてや他学年がどうなっていようと)ほとんど関係ない。

 掲示によって学力に差が生じるとか、生徒指導上の大きな問題が生じているというようなことが起こっているのであれば検討は必要だろうが、おそらくそのようなことはない。そもそもエビデンスもないだろう。

 保護者から何らかのクレームが来ることがあるのか。掲示物が隣と違っているということで何か連絡があるということは珍しいであろう。

 もし仮にクレームがあったとしたら、教師の考えがあればそれを表明し納得してもらうか、保護者の意見に合わせて修正するかのどちからであろう。

 それは出たときに考えればいい。
 掲示物でクレームがくるとすれば(とても非教育的なものであったり、何にもなかったりする以外)多くの場合は、掲示物そのもののクレームではなかろう。
 何か別の課題があり、その延長上で言われている可能性が高い。

 また、初任者や初めての学年担当であれば、教師の方が戸惑っているかもしれない。そのときは、困っている方が「参考にさせてください。」とお願いをすればいい。
 初任者が学年主任と同じにしているけど、他の学級はばらばらであっても、「初任者の指導の一環です。」と説明すればいい。

 そのことに、批判のある保護者はいないのではないか。

 だとすれば残った問題は、年齢や経験、立場が上の者が、そろえることを強制する場合である。

 中には、若手がいろいろと工夫しているものを「自分だけ目立つな」と指導する人がいると聞くが、それは論外な話である。
 言外に、私の立ち位置が危うくなるからと言っているようなものである。

 若手は、技量が足りない分、自分の強みでカバーしなければならない。また、試行錯誤することでいいものをつかみ取っていくという過程も必要である。
 本人が工夫してみたいというところ、わざわざブレーキをかける理由はない。

 中には色彩の感覚や、使っている言葉が適切ではないということがあるかもしれない。

 これは受け取る側の感覚もあるので、何が正しいとは一概には言えないが、上の立ち位置にいる人は、若手が不利益を被る可能性が高いと判断した場合のみ、指導を入れればいいのではないかと思っている。

 仮に管理職や学年主任が、掲示物をそろえようという時には、その必要性や利点を述べる必要があるだろう。そろえるということは、それだけで時間もエネルギーも失うことが多いのだから。

 こうした小さな取り組みの現場の働き方改革につながるのである。

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