構造的な欠陥

働き方改革

 多くの学校では、子どもたちが8時30分ごろに登校してくるだろう。では、8時30分に始業だとして、教師の勤務開始時間は何時何分が望ましいと思うだろうか。

 これまた多くの学校では、5分前の8時25分が勤務開始となっている。始業10分前の学校もあれば、なんと始業時間が勤務開始時間になっているところもある。

 8時30分に教室で朝の会を始めるのに、教師もぎりぎりにやってきて、一緒に活動というわけにはいかない。

 多くの仕事には、開業や接客開始前に社内で準備する時間もあるのではないか。(ないところもあるだろうが。)

 そもそも子どもたちは、朝の会の30分も前に登校してくることもある。場合によっては保護者の出勤時間に合わせて、子どもに早めに出てほしいところもあるのが現実だ。

 仮に、この早めに出てきた子どもたちが校舎内や運動場でけがをした場合、誰の責任になるのだろうか。転んだくらいの小さなけがなら、まだ対応も可能だが、これが重症あるいは死に至るような状況になったときに、誰が責任を取るのだろう。

 実は、このあたりはうやむやになっているのが現実である。
 担任に早めに出勤を要請すれば、当然それは「超過勤務」の命令となり、何らかの補填が必要となる。だから、管理職が(特に教頭が)早めに学校に行って対応するという「建前」になっている。
 しかし、その教頭も全ての教室を巡回して回るわけではない。そんな時間もない。

 では仮に子どもたちの登校時間を遅らせ、その上でなるべく同じ時刻に登校するように強制したらどうなるだろうか。間違いなく現場は混乱する。

 何百人もいる子どもが同時刻に登校してくれば、周辺の道路は子どもであふれる。一定のばらつきがあるから問題も起きていないのが現実だ。

 保護者の中には早めに子どもを送り出したい人はたくさんいる。日本の仕事の朝の問題を学校が回収している事実を忘れてはいけない。時刻をぎりぎりに限定されると、仕事に行けない保護者、あるいは子どもを置いたままに自分が先に行く保護者が続出する。

 子どもは製品ではない。朝から具合の悪い子どもも精神的に不安定な子どももいる。子どもたちにていねいに対応しようとすれば、超過勤務が前提となる。

 ここにも教師の善意をあてにした超過勤務の仕掛けが隠れている。

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