モノを持たない(教室編)

働き方改革

モノを持たない(教室編)

 教室も、モノは置かない。
 目安は年度初めの教室移動で、担任自身の荷物がどのくらいあるか、である。

 さすがに職員室ほど軽装にはできないかもしれないが、工夫次第ではかなり軽くできる。よく「経験年数と共に荷物が増える」と言われるのは、つい捨てずに持っているものが多いからだろう。

 特に小学校の場合は、6学年分の教材を考えると、捨てにくいという気持ちもよくわかる。
 しかし、それでも処分できるものは処分する。なぜなら、持ちすぎると、持っていることを忘れ、本当に必要な時に使えないからである。

 しつこいようだが、原則を確認する。

 記憶することを増やすと、それだけ単純に脳の負担を増やす。
 覚えることも考えることも極力減らしていく。自分の力を過信しない。

 教室の荷物を大量に処分した経験がある教師は分かるだろうと思うが、それだけで頭の中がすっきりする。やってみたら分かる。脳の片隅にこびりつくように残っていた記憶の残骸がなくなるだけで、気分が軽くなる。

「念のため」はほとんど不要である。

 プリント類は、ほぼ処分する。プリント集にあるものを取っておく必要は全くない。必要な時に原本からコピーすればいい。

 今は次々に新しいものが出ている。また、デジタル化した教材もかなり広まってきた。以前に使っていたものを使う必要なほとんどない。

 画用紙や色画用紙も教室に一部保管していたが、これらも学校の保管場所があるから、教室には置かないようにした。(「念のため」は不要の原則)実際に何も困らなかった。

 職員室同様に、ビニールテープやカラーのマジックペンなども置いていたが、全部事務室へ返す。必要な時に取りに行けばいい。年間を通して、必要でないときの方が圧倒的に多いことが分かったものは、もう教室には置かない。

 以前に忘れた子どものために、絵の具道具や習字道具も一式置いていたことがある。

 しかし、習字道具が一つあったところで、2人以上忘れていたら使えない。

 結局、習字道具は教室に置かなくなった。忘れた場合は、残念ながら家で書いてくることになる。

 学習が始まったばかりの3年生なら、半紙忘れに予備を置いておくのもいいかもしれないが、高学年担任が多かったせいで、半紙すら忘れていたら家で書くように指導していた。(子どもたちには何度も繰り返し指導していくと、忘れなくなる。)

 絵の具道具も同じである。セットはかさばるので、パレットと絵の具一式だけ持っていた。これは、私が手本を見せるときにも使うからである。ただ、指導上白色をよく使い、気づかないうちに使い切ることが多いので、白の絵の予備で持っていた。

 家庭科の裁縫道具やその他のさまざまな道具も基本的に同じである。

 これに対して、例えば三角定規やコンパス、あるいは分度器は、余分に持っていた。これらは保管に場所を使わないからである。赤鉛筆や電卓なども同じである。

 これらは、授業中に子どもが忘れたときに対応する方が面倒なので、保管しておいた方がストレスがない。ちなみに、電卓はずっと以前に20台ほど自分で購入していたが、ずっと重宝していた。

 配付済みで余ったプリント類は、一定期間学級で保管し、量が増えたらリサイクルに出すシステムになっていた。

 私は、児童用の机の引き出しを一つ用意して、余ったプリントは大きさも問わず、そこに入れていた。子どもがなくしたので、あまりが欲しいと言いに来たら、そこから探すようにしていた。上に順々に重なっていくので、自動的に時系列にあまりのプリントは積まれていく。

 その引き出しがいっぱいになったときに、(およそ3か月程度)空いた時間に大きさごとに分類し、ひもで縛ってリサイクルに出していた。記憶しておかねばならないことは、ほとんどない。

 モノを置かないのは、脳の負担を減らすことが目的である。自分にとって記憶しなければいいようにすればいい。

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