体育授業21 研究「主体的・対話的で深い学び」

体育授業のコツ

「主体的・対話的で深い学び」と体育

 話がICTにそれた。「主体的・対話的で深い学び」も同じである。

 「体育の中でも対話的な授業が大切だから、もっと子どもたちに話し合いをさせよう」と、単に作戦会議が増えるだけなら本末転倒である。

 「主体的に学ぶために、教師が教えるのは控えて考えさせ、子ども同士で教え合わせよう」と考えた結果、上達しないのであれば、むしろ害ですらある。

 教科には教科の特質が先にある。体育であれば運動することである。これを差し置いて他の要素が入ることはあってはならない。その上で、できる範囲のことを考えればいい。

 先にも述べたように、これが教科ごとの研究団体が独立的に存在しているために、横の連携が取れないでいる。
 学習カードをどの教科でも使っていたら、互いの教科がカードを書く時間のために圧迫される。

 こうした新しい研究は本来、学校というスタンスで一元的に考えるべきである。学校全体の教育を通して、どこをどのように扱えば「主体的・対話的で深い学び」の方向にいくのかというトータルバランスを考え、重点を置いていくようなカリキュラムがあればいい。

 そしたら、体育では一部の単元で、少しだけ話し合いが増える程度の変更かもしれない。それでも学校全体としては、大きな流れに乗って前進できるはずだ。

 

 これまでも体育に限らず、何かの研究テーマが存在したときに、そこだけが肥大化して授業全体を圧迫するような実践例が次々と出てきた。

 評価を研究すると言えば、学習カードの書かせ方ばかり増える。導入の意欲付けというと、奇抜な導入がやたら長い時間かけられる。交流活動の重視といえば、しなくてもいい話し合いが授業の中で増えていく。

 教科の本質的な内容を軽視してデコレーションばかりを増やしていく。それが無駄だとみんな知っているから、ブームが去ると誰もやらなくなる。研究団体ですら、忘れてしまう。

 そうした生産性のない研究ごっこが日々全国のあちこちで繰り広げられ、莫大な時間と労力を費やし(その結果、時に超勤もして)、結果何も残らないという作業を延々と繰り返している。

 そして、この流れを誰も止められない。

 教科別の研究というのは、限界にきている面がある。全てを捨てる必要はないが、もっと生産性のある活動に切り替えないと、現場の無駄は増えるばかりである。

体育指導 楽しい授業づくりの超基本シリーズ
 14 成功する授業の視点「高田四原則」
 15 授業の基盤「原初的なおもしろさ」
 16 十分な感覚の体感と技の向上
 17 感覚の進化で授業を組み立てる
 18 勇気も根性も不要)
 19 「体育が苦手」はどこから来るか

体育指導 研究と実践シリーズ
 20 研究「ICT教育」
 21 研究「主体的・対話的で深い学び」
 22 教えることをためらわない

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