教職は誇り高き時代の最先端

働き方改革

教職は、誇り高き時代の最先端をいく存在である

 これまで、さまざまな視点で教師の働き方改革について、述べてきた。
 給特法による体制が時代に沿わなくってきたことを含め、行政的な問題は長い間ずっと棚上げされてきている。
 その何十年もの間に、今のような働き方が教師生活の慣習として身動きが取れなくなってしまっている部分もある。
 マスコミの論評や、世間の風評によって、あらぬ逆風を受けている部分もある。
 学校制度という巨大な組織の中で、問題解決の処理に時間とエネルギーを要するようになったところもある。
 そうした中で教師も意識も決して一枚岩とは言えない。働き方についても考え方が千差万別なのも現状である。

 そうした中にあって、一つはっきり言えることがある。

 教職は、現代社会において最先端の存在となり、そのステイタスはこれから大いに上がっていくポテンシャルを秘めている。

 理由は簡単である。

 この仕事は、人に教えるという仕事だからだ。

 どれだけ、AIが発達しようと、人間は人間から教育を受けなければならない。それが、この人類という生物の特徴だからだ。

 生まれてすぐに自立できるわけでもない。生まれたばかりの子どもの脳は、ほとんど白紙であり、教育によって人格が作られる部分は多い。

 ここでいう教育とは、単なる教科教育だけではない。教科教育など、人間に必要な教育のごくわずかな部分に過ぎない。

 もしかしたら、あと100年経てばAIが教育のすべてを担っているかもしれない。それがゼロとは断言しない。しかし、一部を担うことがあるとしても、教育のすべてをAIに委ねてしまうことは、当面ないだろう。

 多くの仕事が、AIに取って代わられる状況にある中で、教育の仕事はますますその地位を高めていく可能性を秘めている。

 しかし、物事はそう簡単には進まない。

 よく「教師の仕事はつぶしがきかない(他へ転用できない)。」といわれてきた。
 教室という限定的な局面でしか、身につけたスキルが生かされていない現状がある。

 これは、教師自身の責任ではない。
 今の働き方改革が必要な現状も含めて、教師の仕事を教室の中で閉じ込めておくような作用が、有形無形に作用している。

 本来、最も知的であるべき仕事の牙を折られ、学校に飼い慣らされてきた。
 それも、これは誰かが意図してしくんだわけではない。(そこに陰謀論はない。)

 ただ、この巨大な仕組みと時代の流れの中で、抗うことができないままで今日に至っている。

 教師の仕事がつぶしがきかない理由は何か。

 それは、複雑であり、一言で説明することは難しい。(そんなことができているなら、教師はすでに覚醒しているはずである。)

 しかし、私はその答えはあると考えている。

 そして、教師が本来のモチベーションを取り戻し、スキルの磨き直しをすれば、大きな変化が生まれると確信している。
 教育という仕事のあり方が変われば、社会はさらに進化する。
 教師はこれから時代を変革できるだけの大きな力を持っている。

 その力を開花させることが、これからの時代の教師の未来である。

 私はその目標を実現するために、心ある人と連帯しながら進めたいと思っている。

 最終章「働き方改革最終目標 そして次のステージへ」

 

 

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