学校制度は超巨大企業

働き方改革

学校制度はいわば超巨大企業

 学校と言うと、自分の勤務する学校や、市町村の学校、あるいは住んでいる校区の学校をイメージするだろう。

 しかし、学校は日本中どこにでもある。それこそ校区に一つは絶対に小学校が存在する。(あたりまえだが)小中学校合わせて約3万校である。これに幼稚園、高等学校を含めると約5万になる。

 それぞれがばらばらに存在するのではなく、文部科学省という国家体制の中に組み込まれ、そこから各都道府県、そして各市町村へと組織が降りていく。

 働く教師の数はおよそ90万人程度と言われているが、これに学校用務員、給食の調理業務員、事務職員、SSWやスクールカウンセラー、学校司書などのさまざまな業務に携わる人、さらには所轄する教育委員会事務局まで含めると、ものすごい数になるだろう。

 諸外国との比較でGNP比率において低いレベルとはいえ、使われる金の金額も、とてつもなく多い。学校一つ建築するのにかかる費用、維持費、備品・消耗品費、そして教職員の給料・・

 民間企業に置き換えると、それはもう超が付くほどの巨大企業レベルなのである。
 それぞれの学校は、この超巨大企業に属する地方の一支店なのである。
 しかもこの超巨大企業は明治時代の学制発布以来、150年近くの歴史を持つ老舗の企業でもある。

 何が言いたいかというと、これだけの巨大な組織になると、当然ながら動きは鈍くならざるを得ないということである。

 憲法、教育基本法から、学校教育法と続き、あまたの法律という枠組みがあり、そこに施行規則や施行令などのおまけもつき、文部科学省の省令から県教委への通達、それぞれの教育委員会の管理規則などと、何重もの枠組みがかけられている。

 しかし、国家レベルの超巨大企業でありながら、権限の多くは地方自治の原則に則り、本店である文部科学省が全てを統括するわけではない。
 そもそも支店である各学校の所管は、市町村である。

 だから、命令指示系統も一本で通るわけでもない。(一本で通ることを望んでいるわけではない。念のために。)

 予算、人事などは都道府県単位、あるいは市町村単位で変わる。予算や人事が地方によって変わるということは、当然大きな方針もそれに影響を受けるということである。

 他の地方の教師に話を聞くと、自分たちが当たり前だと思っていたことが、ただのローカルルールだったと気づかされることは多い。

 学校そのものの規模も形態も、地方によって大きく異なる。

 数多くの支店を持つという意味では、コンビニは学校と似ている。しかし、コンビニはおそらく日本中どこに行ってもそれほど大きくは変わらない。

 学校も設置の基準はあるからある程度は同じだが、それでも地方によって大きく違う。同じ市町村の中でも違う場合もある。
 規模も形態も変われば、働き方も当然変わる。職員数が違うのはもちろんのこと、組織のあり方も運用の方法も大きく異なる。

 使える金(予算)は、自前で稼ぐわけではない。税金が投入される。当然のことながら、そこには議会というまた別の存在の影響を受ける。

 それも国会というレベルと、地方議会というレベルの複数の影響を受けている。

 国家を支える柱の一つになるほどの巨大な組織であるために、大きな枠組みはいくつも存在する。それでいながら、地方自治の原則と地域の実情に応じて規模も運営方法も独自性が求められる。

 学校の職員の思いや考えもある。最前線で働く教師と、管理職の思いも違うだろう。

 学校がそこに一つ存在するというだけで、多くの組織、仕組み、ルール、金の動き、人の思いが交錯する。
 巨大な制度の上に作られた組織と仕組みである。
 それが長く続く中で、文化も形作られていく。当たり前だと思っていることも、実は長い時間をかけて紡がれてきた文化の結果である。
 そして、これだけ多くの人が関われば、そこにそれぞれの人の思いも存在する。

 学校というところは、そういう場所なのである。

 だから、「さあ、働き方改革を進めましょう。」と一声かけたくらいでは簡単には変わらないのである。変えるためには、ものすごいエネルギーと時間がかかる。
 逆に簡単に変わるような硬直化した組織であれば、それはそれで別の問題も生じる危険もある。

 この「超巨大企業」が、「働き方改革」を推進しますと動き出したところで、今日や明日にすぐに変わるわけではない。上から変えてくれることを期待しても、それがいつになるかは分からない。

 だからこそ、目を向けるべきは「自分自身」なのである。

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