授業中でも休み時間でも、教師は子どもたちを見ている。
「あの子はこんな子どもなんだな」「こんな時は、こんな行動に出るんだな」といろいろと新しい発見もあるだろう。
学級をネットワークとして見ていこうと思えば、子どもどうしのつながりにも意識が行くようになるだろう。
誰と誰が仲良くしているか、誰の影響力が強いのかというような見方をするだろう。
では、学級ネットワークの中で、最も強く大きな存在は誰だろうか。
それは、間違いなく担任教師である。
担任は子どもたちのネットワークを見るときに、自分だけが別の場所から眺めているような気持ちでいてしまう。
しかし、その学級の中で一緒に生活している以上、教師は好むと好まざるとに関わらずにネットワークの中に組み込まれている。
そこにいる以上、教師の言動が子どもに全く影響を与えないということはあり得ない。
しかも、ネットワークの中の誰よりも多くの子どもとつながり、そのつながりは強い。
子どもたちのネットワークに最も影響を与えているのが、自分自身であるという自覚があるかないかは、学級経営を考えていく上で無視できない要因である。
四月のある時を想像してほしい。
ある時に一人の子どもが、授業中におもしろいことを言ったとする。
周りの子どもたちは、一瞬その子を見る。
そして、次の瞬間に教師の様子を見る。この目線の一瞬の移動に気づいている教師はどのくらいいるだろうか。
教師が笑っていれば、周りの子どもたちも「これは許されるのだ。」と判断して、一緒に笑うだろう。
反対に教師が嫌な顔をしていたら「これは許されないのだ。」と判断して、黙ってしまう。
この瞬間に、学級のルールや文化を、暗黙の裡に決定してしまっている。それほどに教師の存在は、学級のネットワークの中で多大な影響を与えている。
教師は常に見られている存在である。その一挙手一投足が子どもたちの判断基準になっている。
それは、インターネット社会における「インフルエンサー」に近い。
授業中におもしろいことを言った子どもにどう対応するかはいろいろと方法はあるだろう。
いずれにしても、教師自身が最も強大な影響力を持って、周りが一瞬の表情や態度で状況を判断しようとしている存在なのだと、自覚をしている必要はある。