ちょっと変わった子
担任を持つと「ちょっと変わった子」だなと思う子どもに出会うことがないだろうか。
さて、こうした子どもに出会った時こそ、自分の教師としての成長のチャンスである。
この「ちょっと変わった子」の話を、別の教師にしてみる。
きっと職員室ではよくある風景だろう。
お互いに大人だから、ある程度は話を合わせてくれるだろうが、みんなが自分と同じ価値観で子どもを見ているわけではないことに気づくことがある。
「え?どこが変わっている?」
と聞き返されることは少ないかもしれない。(大人はあからさまな反論はしないから。)
しかし、どうも同調してくれているようにも見えない。
ある人からしてみれば「変わった子」でも、他の人から見れば全く他の子どもとの違いが見えないことはしばしばある。
自分の経験からしても、同僚に「こんな子どもがいて・・・」と相談のような愚痴のような話を聞くことはしばしばあった。しかし、「それで、何が問題なの?」と聞き返したくなるような話はかなりあった。
価値観が違うというよりは、「正しい」という価値観の間口が狭い場合が多い。
「いろいろあっていいんじゃない」という感覚ではなく、まさに「異端は許されない」という感覚に見えることもある。
典型的な「箱」の中の理論である。
大きさや形ができる限りそろっていた方が見た目が美しいという発想でいるようだ。
だから、ずれが気になって仕方がないのだ。
仮に、どこが問題なのかと突き詰めていくと「教師の好み」以外に問題点はないようなことが多い。
「ちょっと変わっている」だけだから、特にその子どもが叱られているわけでもない。
ただ、教師のそうした価値観は、学級の中で思い切り出てくる。
他の子どもたちとのずれを、修正しようとするあまり、その子単独への指示がどうしても多くなる。
その「変わった子」の行動と、教師のリアクションを眺めつつ、他の子どもたちは学習している。 「この学級では何が正しいのか」と。
気づかぬうちにその子どもを「異端」にしていく危険はかなり高い。
例えば、色画用紙を使わせようと思って、好きな色を選ばせる。
その時に、まさかこんな色を選ばないだろうと思うような色を選ぶ子どもがいる。
「好きな色」と言った以上は、何を選んでも批判も指導もされる必要はない。子どもはまさに「好きな色」を選んだだけである。
教師自身が、子どもの選んだ色に違和感が生じたときに、それが「教育としての指導の範囲」なのか、自分の好みなのかを自覚する必要はある。
ついでに言うと、「ええっ、そんな色を選ぶの?」という教師の気持ちが、一瞬顔に出ると、子どもたちはそれを決して見逃してない。
指導が必要な場合であれば、本来は自由に選ばせる前に「〇〇という理由で、この中から選びましょう。」と言うべきだった。
職員室で子どもの悪口を言うなど論外であるが、「あの子は変わっている」というような話をよくする教師は、自分の常識が相対的に狭い可能性があるので、気を付けた方がいい。