ICT教育の精神的基盤となる

学級経営

ICT教育の精神的基盤

 インターネットは、人間社会そのものを見えるかしたものであると先に述べた。
(参照  )

 もとから人類がその生得的に持っていたネットワーク形成力があったからこそ、インターネットというシステムが存在するのである。
 人間が、他者との関係を作らない生物であれば、国家という概念も成立しないのと同様に、インターネットというシステムも生まれなかっただろう。

 今、学校の中にもICTが急速に導入されている。
 今後、指導法も大きく変わっていくだろう。

 ICT教育と一言で言っても、その内容は幅広いが、ここではネットによる他者とのつながりについて特に論じていく。

 学校の中にインターネットによる学習が行われるようになると、「箱」に閉じ込めておく意味がなくなってくる。

 知識も人間関係も、教室という「箱」の壁の中にもあるが、外にも存在する。外の世界は、箱の中よりもはるかに広い。そして、おもしろい。
 子どもたちに一人一台のタブレットPCを持たせたときから、それは「壁」の取り壊しが始まりを意味していたのだろうと思っている。

 ネットを使えば、教室にいるかどうかという問題の重さはどんどん軽くなる。
 つながる相手も、いや自分自身も、どこにいるかは大きな問題ではない。不登校の概念も変わるだろう。
 そうした動きの中から、知識や情報だけでなく、価値観や考え方、文化なども教室という「箱」の壁を乗り越えてやってくる。

 にもかかわらず、教師が「箱の壁」を頑なに守ろうとすればするほど、滑稽に見えてくるだろう。

 学級はネットワークであると思えたときから、子どもたちから無限の、そして多種多様なリンクが広がっているのが見えてくるはずである。
 それは、そのままICTを活用するネット社会の構造と同じものである。

 ICT教育を本当に進めようと思えば、学級という「箱」に子どもたちを閉じ込めておくことを早々にやめるべきなのだ。

 教室に求心力を求め、一つの価値観やルールで縛ろうと思うほどに、現実の差が生じる。

 子どもたちは学校を息苦しいものと考えるようになる。今すでにそう思っている子どもたちは、かなりの割合でいるだろう。それに拍車がかかる。

 教師の発想を変え、そこからシステムもルールも変えていく。

 学級をネットワークととらえ、子どもたちの無限のリンクを、今後もより豊かにしていくという視点で学級を見て言えば、ICT教育そのものもさらに進展するだろう。

 害のあるものに触れさせないために、タブレットの使用に制限をかけている学校があると聞く。しかし、もはやいくら抗ったところで時代の流れは変わらない。

 同じように、学級というシステムも連動するように変わっていく。

 ICT教育が完全に浸透したときには「学級はネットワークである」なんて、何を今さら当たり前のことを言っているのか、と言われるだろう。

 今は、そのちょうど変わり目である。

 ICT教育を推進する教師ですら、まだ学級の「箱」の中の思考のままの人がいる。

 学級ネットワーク理論は、これからしばらくの間ICT教育を支える精神的な基盤になるだろうと思っている。

 社会の変革をさらに進めていくためには、基盤となる思想の変革もまた必要なのである。

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