一言も話さなかった授業

現代教育論

 言葉を一言も話さなかった授業が1回だけある。

 6年生の体育、3学期のサッカーの授業。

 サッカーは個人差が大きい。いきなりゲームをしても、動ける子どもたちは限られているのは分かっている。

 そこで、初めの頃はボールに慣れるための自由練習の時間を設定していた。

 自分も体操服に着替え、運動場に行くと、子どもたちはすでに各々練習をしていた。友だちとパスをしあう子ども、雲梯をゴール代わりにしてPKのような練習をしている子ども、コーンを並べてジグザグドリブルの練習をする子ども、そして何人か集まってミニゲームをする子どもなどなど。

 自主的にやっているのはいいが、一度は集合すべきだろうと思ったが、声をかけるまで待つことにした。

 しかし、子どもたちの活動は続く。全員運動場にいて目の届く範囲にいる。どの子どももそれぞれに自分の課題に熱心に取り組んでいる。

 時間は経過する。時折練習メニューを変える子どもはいるが、相変わらず楽しそうにそれでいて熱心に取り組んでいる。

 途中で集合に気づくのか、気づいたら一言言ってやろうと思って、ずっと待っていた。

 時間はどんどん過ぎる。このまま終わりそうである。

 そうだ、終わるときには、子どもたちもさすがに指示を待つだろうと待っていた。

 しかし、終業5分前になったときに、ある男子が「よーし、みんな片付けよう」と声をかけた。子どもたちはあれよあれよいう間に片付けてしまった。

 そして、なんと自分たちで教室に戻ってしまった。

 私は一言も言葉を発しないままに授業が終わってしまった。

 念のために付け加えると、決して崩壊しているわけではない。

 教室にもどり、普通通りに次の準備をしている子どもたちに、「さっきの体育は、一言もしゃべらなかった」と話したら、子どもたちはきょとんとしていた。それがどうした、という顔つきだった。

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