保護者と向き合えなかった現場

働き方改革

保護者と向き合えなかった教育現場

 私が教師になったばかりの頃、まだ教師という仕事は今よりもはるかに尊敬され、大切にされていた(ように記憶している)。
 個人の記憶というより、社会全体のイメージとして残っている。

 いろいろな学園ドラマが出てきて、その時々に話題になっていたが、それも教職へのある種のリスペクトだったのではないかと思っている。
 いい教師ばかりだったとは思わない。自分もそう思ってもらえるほどの仕事ができていたかと言えばとても自信はない。

 それでも、社会の目は今とは少し違っていたと思う。
 それがいつのころからだろうか、少しずつ変化が始まった。

 一つのきっかけは、学校でのいじめ問題だったのではないかと推測している。
(あくまでも個人的な印象なのでお許しいただきたい。)

 学校での子どもたち同士のトラブルが、社会全体でも問題になり始めた。ひどいいじめでは、子どもたちがけがをしたり、ひどい場合には亡くなったりする事案も出てきた。

 そうしたことが全国で見え始めたときの学校現場の対応は、今思えばぬるかったのではないと思う。

 子ども同士のトラブルなど、今までだってあっていた、と教師がそこに真摯に取り組もうとはしなかったように思われてきた。

 そうした学校に対して、保護者はどう対応するべきか。

 少しずつ「学校に訴える」という方法が広がってきた。
 今から20年くらい前だろうか。「学校への訴え方」というテーマで保護者向けに本が出版された記憶が強烈に残っている。
 泣き寝入りをしないで、学校へ意見しようという本である。

 今までそんな本は見たことがなかったので、衝撃を受けた記憶がある。私も親の立場になれば、書いてあることの意味はよく分かると思った記憶もある。

 少しずつ学校と保護者の立場が変化してきた。
 それまで、学校には保護差からクレームを言われるということが、ほとんどなかったと言っていいだろう。
 注文はいつも学校からばかりで、保護者はそれを聞くだけというスタンスだったのだから。

 保護者からクレームが出始めたとき、学校はどう対応してきたか。
 はっきり言えば、決していい対応ではなかったろう。なぜなら、学校という組織はクレームに対応するシステムがほとんど存在していなかったからである。
 管理職も教育委員会も、どう対応していいのか分からなかった。
 「怒鳴り込む保護者」が来た時の学校サイドの対応は、悲惨だった。
 現場に知恵が集積されていないから、中にはひたすら謝罪するという方法で切り抜けてきた面もあった。

 時を重ねるごとに、双方の立場が少しずつ変わってきた。
 保護者からの批判、注文があるたびに、学校は謝罪と丸々受け入れるという対応を取るところが増えてきた。

 現場を跳び越えて教育委員会に連絡があったときにも、委員会が学校のスタンスを理解することなく、保護者に謝罪をと「指導」してきたこともあった。

 学校はいつの間にか「受け」を基本とする対応をするようになった(と思っている)。

 地方によって温度差があるだろうが、組合の存在にも注目する。
 組合は、管理職と対峙する。(大雑把に言うと、それが存在理由である。)職員会議の議論などでも、組合と管理職がやりあうという場面を私もよく見てきた。
 学校は部外者から批判されるという経験が少なかったので、内部の議論が可能だったのかもしれない。

 時を経て保護者からのクレームが学校にやってくるようになったときに、私は思った。

 組合は、保護者対策には無力である。何もできなかった。
 組合という組織にも、対保護者のノウハウはなかった時代である。
 ある時にそれは本当に対応が難しい保護者がいた。担任は疲弊し、管理職もその対応にずっと関わらねばならなかった。
 当時、私もその様子を見ていたのだが、校長先生は決して担任を悪者にせず、むしろ担任を守り、そのせいで自分が火の粉をかぶるような思いをしていた。

 しかし、組合の教師は(私も組合員だったが)「〇〇先生が疲弊している。管理職は何とかしろ。」とこともなげに職員会で意見を言っていた。

 学校の状況をあまりにも知らず、知ろうとせず、傍観者の立場で堂々と意見をいう同僚や先輩を見て、かなりの失望をしたことを今でもはっきりと覚えている。
 私は当時のことを
「沈みゆくタイタニック号のレストランで、飯がまずいと文句を言っているような状況」
 だと思っていた。学校という船が沈みかかっていたのである。

 「子どもは人質」という(あまりいい印象ではない)言葉がある。

 これは、保護者が学校に文句を言えないときの言葉だった。学校を批判すれば、我が子がとばっちりを受けるかもしれないと、保護者が我慢していたという言葉である。

 今、これは反対である。

 保護者が「学校の対応が悪いので、学校に行かせません。」という。子どもが来なくなると困るで、学校が対応するようになる、という構造である。

 ここに書いてきたことは、あくまでも現象を独断と偏見で述べただけであり、個々の事象については、もっと深くて複雑な要因があるだろうから、どれも一言では言えない。

 今なお高飛車な学校もあるかもしれないし、我慢をしている保護者もたくさんいるだろうと思う。

 反対に社会通念から考えてもわがままにしか見えない要求をする保護者もいれば、それを丸のみ込みする学校もあるかもしれない。

 ただ、長く教師をやってきた経験を踏まえて言わせてもらえれば、今の若い教師がもっている学校現場のイメージとは明らかに異なる学校が昔は存在していたと思うのである。

 それはどちらが正しいとか悪いとか、そういう話ではない。
 ただ、今なお学校現場は、明確な保護者対応のノウハウを持ち合わせてはいないと思っている。

 学校現場いや、学校教育というシステムにおいて保護者との協力や議論ということに、共通の理解がない。

 一方的に「受け」を要求する管理職や教育委員会の下で、学級担任をする教師は、必要以上のプレッシャーをかけられている現状もある。

 教師の働き方改革は、クレーム対策という点でも多少は他の仕事とは異なる面を持っている。

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