極めるほどに道は険しくなる

働き方改革

極めるほどに道は険しくなる

 我が国の犯罪件数や、交通事故死亡件数は減少傾向にある。

 と、いわれると「あんなにニュースで報道されているのに。」と思われる方もあるかもしれない。
 総数が減っているために、逆にまれに起こる事件が大きく取沙汰されるという現象が、マスコミにはあるということだ。
 見えてくる数値や現象が、必ずしも全体像を表しているわけではない事例である。

 物事を改善しようとするときに、一定の割合までは比較的容易に進んでいたとしても、成功の比率が高くなるほどに達成は難しくなる。
 犯罪防止にしても、交通事故対策にしても、これまで関係諸機関の取り組みのおかげでかなりの成果を上げてきた。
 しかし、これをさらに精度を高めていくためには、今までのようなわけにはいかない。
 60%程度のものを90%まで引き上げることよりも、90%を95%に引き上げる方がはるかに難しい。
 ましてや95%を100%に引き上げようと思うと、その困難さは全くレベルが異なってくる。

 教育でも同じようなことが言える。

 テストで平均点60点くらいを取っている学級を90点まで引き上げるのは、じつはそれほど難しくはない。(簡単とは言わないが。)

 しかし、90点を95点にするのはかなり難しい。指導方法も根本的に考え直す必要が出てくる。平均点100点など、むしろ目指す方が弊害があるかもしれないレベルである。

 戦後、日本中が貧しかったころは、子どもたちも同じように貧しい生活を送っていた。

 次第に生活水準が上がるようになると、「そうでない」子どもたちの方が次第に少なくなっていく。そして、目立つようになってくる。

 親が子どもに手をあげることは、昔の方が普通に行われていたかもしれない。やがて、それが少しずつ変わっていく。(それはいいことだ。)

 しかし、社会は一気には変わらないから、相変わらず続いているところも、社会全体としては残ることになる。
 この次第に減りつつある中で、残っているものをていねいに見つけて対応していく方が、はるかに難しいのだ。

 社会全体を変えていく(つまり60%を90%にあげる)ことよりも、より完全にするために精度を上げていくことの方がはるかにエネルギーが必要である。

 教育の仕事は、今この「精度を上げる」レベルになり前よりも困難を極めているという部分もある。

 映画「となりのトトロ」に出てくる姉妹、さつきちゃんとめいちゃんについて、最近の再放送を見た視聴者が「あの映画でさつきちゃんは、妹のめいちゃんの面倒を見させられる『ヤングケアラー』ではないのか。」という意見が出たと聞く。

 映画が上映された当時、健気なさつきちゃんに好感をこそあれ、『ヤングケアラー』と言った人は皆無だったのではないか。
 昔の映画だから仕方がない、という話ではなく、これがもし今作られた映画だと仮定したら、世間はどう評価するのだろう。

 ヤングケアラー一つにしても、発見すること自体が難しい。それらしく見えたとしても、定義も難しい。問題があると断定できても対応することが難しい。
 今すぐ学校動け、行政動け、と言われても、そうは簡単に動けない。

 社会の変化に伴い、「大変な状況に置かれている子どもたち」の存在は、見えにくくなる。
 それは社会全体と比較したときに相対的な問題だからだ。
 戦後の混乱期に兄弟の面倒を見る子どもはごく普通にいただろう。その親に向かって「ヤングケアラー」だから何とかしろなどという価値観はなかった。

 問題の解決は状況の把握と同時に定義から始めなければならない。
 今まで問題だと言われいなかったことも、社会の変化とともにていねいに取り上げていこうとすると、そのための準備もまた必要なのである。

 学校という組織の予算もマンパワーも、それほど伸びてきているわけではない。
 しかし、こうして社会の変化とともに、よりていねいな取り組みを目指していこうとすればするほど、能力も予算も時間も、エネルギーも必要となる。
 それも、今までよりもはるかに高いレベルで必要となる。

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