デジタルの矛盾

働き方改革

 民間企業の企画会議。以前なら企画書だけで話を進めていただろうが、今はプレゼンテーションに、デジタルのソフトウエアを使うだろう。

 このソフトウエアを使うときに、文字の色や大きさ、フォントを考えたり、矢印の向きを考えたり、さらにはアニメーションを入れたりと、準備に時間がかけてしまうことになる。
 結果として、かつてよりも時間がかかっている。
 しかも、ソフトウエアそのもので企画会議をしたからといって売り上げが倍増するわけでもなく、コスパが悪くなったのでは・・・という皮肉な現実が生まれていると聞く。

 学校現場でも同じような現象が起こっている場合がある。

 掲示物をデジタルで作る際にフォントやレイアウトにこだわったり、画像データなどを調べて取り込んだりして、時間がかかってしまうようなことがしばしば起こっている。

 そのこだわりのおかけで、劇的に教育効果が高まるわけではない。
 掲示物の目的を考えれば、画用紙とマジックペンだけでも十分な場合もある。

 通信表の作成は、手書きから校務支援システムに変わった。
 出席の入力をしてしまえば、通信表にも指導要録にも一発で反映される。計算も転記も不要だ。
 所見は何度も書き直しができる。誤字脱字が見つかっても修正は簡単。字がきたないからと心配することも、書き間違えて修正するストレスもなくなった。
 成績処理も基準点さえ決めてしまえばすぐに結果が出る。
 印刷はものの数分だ。

 校務支援システムによって、成績処理の仕事は楽になるはずだった・・・・

 しかし、実際は多少違っている。
 簡単に修正ができるという点を逆手にとって、ぎりぎりまで考えることが増えてくる。所見の文言や評定にずっと悩んでいる。
 さらには、成績処理が速いので、授業そのものをぎりぎりまでやってしまうことすらある。

 デジタルを使うことで、返って手間がかかる。デジタルを使うことで、ぎりぎりまで仕事を引っ張る。便利になるはずが、むしろ仕事の量が増えてしまっているという皮肉な結果が生じていることも多々ある。(ここにもパーキンソンの法則が潜んでいる。)

 機械が仕事を便利にしてくれるかもしれないが、それが仕事の効率化につながるかどうかは、実は別問題である。結局人間がそれをどう使うかにかかっているいる。

 ちなみにデジテルの長所は「転用性」。一度作れば何度も使えることがあげられる。
 そんなデジタルだからこそ有用であることに使えるようにすべきである。

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