報告書の行方

働き方改革

報告書の行方

 教育委員会から、突然の調査報告の依頼が来ることがある。
 それも締め切りも結構すぐだったりする。

 報告の一部は、議会対策である。
 要するに市議会で議員が質問するから、その答えを用意するための調査・報告ということである。

 議会制度は、民主主義のシステムであるから仕方がないのかもしれない。
 質問に答える教育委員会の方もお気の毒な気がしないわけではない。

 しかし、あえて記しておく。何とかならないものか、と。

 議員の質問が、そのまま教育政策の好転につながるのであれば大歓迎である。
 しかし、その報告が、結果としてどうなったのか現場は知る由もない。
 いや、正確には調査の依頼が来た段階で「これ何のため?」と思うことがほとんどである。

 議会対策と書いたのも「そういう場合がある」というだけで、必ずしもそうだとは言えないかもしれない。

 報道で、国会が話題になっていた。
 議員が質問するために、各省庁の官僚がその準備をすることがものすごく面倒だという話だった。
 質問の内容をぎりぎりまで出さない場合は、官僚も徹夜覚悟で準備するらしい。

 それが未だ紙の文書中心だったり、やりとりがファックスだという話もあっていた。
 その質問によって、国家の政策が大きく前進するのであれば、まだやりがいもあるだろうが、つまらないやり取りに消えている可能性もあるのではないかと思ってしまう。
 そうした作業が、官僚の多忙化や超勤につながっていると聞けば、他人事ではない。

 実際に忙しさのせいで、官僚の中にも途中退職をする人や、希望者の減少が起こっているという話も報道でなされていた。
 いずこも同じである。 

 これを民主主義の必要悪ととらえるのか、システムの制度疲労ととらえるのか、考え方もいろいろだろう。

 とある市の市長が、「議員につまらない質問はやめて、実際に現場に見に行けと言っています。」とある研修会で話していた。「報告させるだけで現場は大変なのだから」と。
 こうした発言は本当にありがたい。

 もちろん、議員の方も市民の声を受けて動いているのだろうから、適当な質問のために報告を求めているのではないことも理解している。

 調査の簡素化も含めた、議会の運営も含めて、もう少しこの国も生産性を上げることを社会全体で考えるべき時に来ていないだろうか。

 遠くない未来に「えー!昔はこれを紙でやってたの?」と笑い話になるような時代が一日も早く来ることを願っている。

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