行政から見る教職の「生産性」

働き方改革

 「長時間働いている=生産性が落ちている」という事実は教師としてはとらえにくい。
 給料の方が固定しているからである。
 働いている時間と給料が全く関係ないため、2つを別々のものとして考えてしまっている。

 給料を払う側としては、それで何の問題もない。
 最低の勤務時間は決まっているのだから、それさえ守ってもらえればいい。
 教師がどれだけ超勤しようが、見て見ぬふりをしておけばいい。

「定額働かせ方ホーダイ」と揶揄されるのもよく分かる。

 これがもし、残業代を払わなければならなくなるとしたら、話は変わる。
 教師の給料は地方公共団体が払う。国も一部負担はする。
 前にも書いたが、教師の残業代を払うとしたら1兆円になるという推計があるそうだ。
 (参照「教師の善意に甘えている」

 残業代を出すとすれば、どこからか、その費用を捻出しなければならない。
 今、教師の給料についてあちこちで議論が始まっている。しかし、結論から言えば今すぐ無理だろう。そんな金はない。それでも残業代を払えということなれば、道は一つである。

 行政は、必死になって教師の残業をやめさせる方向に働くだろう。(笑)
 教育委員会に指示を出し、校長に圧をかけ、勤務管理を厳密にしながら、さまざまな手を打って、1分でも、1人でも残業しないように動き出すことになるだろう。
 そうしないと財政がひっ迫するからだ。私が行政の担当者なら、間違いなくそうする。(笑)

 教師の方は、今まで遅くまでやっていた分にお金が加算されることはありがたいと思うかもしれないが、システムとしてはそんなに甘くはないだろう。今よりもいっそう定時退勤を求められるようになるだけである。そうでなければ、基本給の方が下がるかもしれない。

 教師の働き方改革を推進する一番の方法は、残業代を支払うことだと思っている。そうすれば、行政は完全に流れを変えるだろうからだ。

 当然こうなると、ひずみも出てくる。
 退勤処理を先に済ませてから、残業しなさいというような違反行為も出てくるかもしれない。
 今のように給料に反映されていない状態であっても、退勤時間の打刻に不正がある学校があると聞くくらいだから。 

 給料固定というのは、想像以上に教師の文化に影響を与えている。

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