話せること、話せないこと

学級経営

 子どもに限らず人は、自分の周りにさまざまなつながりを持っている。家族、友人、師弟関係、同僚、先輩後輩・・・
 それぞれのつながりの中で、それぞれの立ち位置を作り、関係を維持している。それは同時に自分を維持することにもなる。

 それがこれまでにも述べてきたネットワーク理論の表出である。

 さまざまなつながりがあるが、どれ一つとして万能なつながりはない。この人とであれば全てが満たされ、全て安心できるということは決してない。

 親だから話せることもあれば、親だからこそ話せないこともある。友だちだから話せることがあれば、友だちだから話せないこともある。

 大好きな人だからこそ、心配はかけたくない、あの人には自分のこんな一面は見せたくない、誰しもそうした思いに心当たりはあるだろう。

 教師だからすべてを理解できるわけではない。同じように親だから子どもをすべて理解できるわけでもない。そうした理解の限界を心のどこかでもっておかないと、人間関係がつらくなる。

 努力はずっと続けるだろうが、それがいつか完璧な答えを用意してくれるわけではない。

 昨今はマスコミなどでも、大きな問題が生じたときに、学校はどれだけ把握し理解していたのかと簡単に問うが、どれだけ努力をしても完全になることはありえないのだ。

 校内にスクールカウンセラーの配置が進んでいる。親でもない、教師でもない、友だちでもない、第三者の立ち位置というのは実はありがたい。

 もちろん、カウンセラーとて完全にはなれないのは先にも述べたとおりだが、それでも子どもたちの中に比較的「強い」つながりばかりの中で「弱い」つながりでありながら、確たる位置としてあることはありがたい。

 同じように電話相談やLINE相談のシステムがあったり、児童相談所が子どもの緊急の避難場所になることも、多様なつながりという位置づけでは、たくさんあった方がいいと思っている。

 ネットが急速に広がり、子どもたちもその中に飛び込んでいる現在、子どもたちの人間関係をていねいに見ていくことそのものが難しくなっている。

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