研究授業3 メタ認知しようとする

学校システム

人が来るとメタ認知しようとする

 人様が見に来ることを想定すると、人は掃除をしようとする。(笑)
 自分が新任数年の頃、尊敬する先輩に研究授業のことで話をしたことがある。

「指導主事が来るとか、研究授業があるとかでわざわざ掃除をするっているのは、おかしいと思うんですよね。」

 すると先輩はあっさりと

「いいじゃん。きれいになるなら。」

 ショックを受けたので30年以上も前の話を今でも覚えているのだろう。

 家でも、来客があると分かれば掃除をする。荷物を片付ける。
 その話から10年後くらいだが、恥ずかしながら我が家でもは、4月の下旬から5月の上旬が一番家がきれいだった。我が子の家庭訪問があるからだ。
 大掃除ですらまともにやっていなかったのに、人が来るとなると意識が変わる。

 以来私は、閉じられた環境の中で、つい怠惰になることを戒める意味で「透明度を上げていくこと」を考えるようになった。

 もう一つは、掃除である。
 考えてみれば、日ごろまともにやっていないから、いざ来客があると慌てふためくのである。いつもきれいにしておけば、いつ来客があってもいい。

 取り繕うのが嫌いだった私は、「参観があっても今まで通りでいい」と開き直っていたのだが、反対に「いつもきれいにしておこう」と発想の転換をするようになった。

 本当に教室がすっきりときれいになるのは、それからまだしばらくはかかるのだが、参観がある直前にあわてふためいたり、逆に開き直ったりすることは次第になくなっていく。

 同時に教室掲示などについても考えるようになった。

 どちらかと言えば、私はあまり教室にものを貼らない方だったと思う。参観授業や研究授業でも、それは変わらなかった。日頃の係活動なども、他の教室よりもシンプルな掲示にしていたと思う。

 人が来ると分かっていると「比べられるのではないか」という邪念?がわく。そのたびに、教室の子どもたちにとって必要かどうかを改めて問い直した。自分で自分に問い、自分で答えを求めた。

 人様に見てもらうとは、そうしたメタ認知的な思考にも役立つ。

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