研究授業21 準備とは一言で言えば

学校システム

 研究授業の準備 突き詰めると教材と発問と指示

 結局のところ、研究授業の準備とは、授業当日の教材を揃えることと、教師の発問と指示を整えておくことに尽きるのではないかと思っている。

 子どもたちに特別に準備をさせるようなことはないのではないか。
 時々、子どもたちに発表会をさせるような授業に出会う。これは、子どもの発表の公開であって、厳密には授業の公開とは呼べないだろう。
 どちらかといえば、それは学習発表会に近い。
 研究授業であれば、学習発表会であっても、その練習をこそ公開すべきなのだ。

 どのような授業であれ、教材を決めるのは教師である。
 どんな教材を持ってくれば、子どもたちが熱中し、力が伸びるのか、その選択は教師しかできない。
 子どもに選択をさせる場があったとしても、年間の指導計画を踏まえれば、大きな枠組みは教師が決めている。その範囲の中で、子どもたちに決めさせるだろう。
 子どもたちに丸投げはしないはずである。
 (反対に丸投げするなら、それも研究授業とは呼ばないだろう。あくまでも発表会である。)

 単に、教科書を使う場合も同じである。
 教科書のどこを、どのように使うかで、授業は大きく変化する。それを決めるのは教師である。

 そして、授業の進行を決めるのは、教師の発問と指示だけである。
 仮に「さあ、始めましょう。」と一言言っただけで授業が進むとしても、「その一言しか言わない。」と決めたのは教師の判断である。

 さて、ここからもう一歩突っ込んで考えてみる。

 授業における言葉は削りに削った方がいい。
 これは研究授業に限らない。日頃の授業からの大原則である。
 短い言葉は、聞き取る子どもたちの誤差を減らす。やるべきことがはっきりし、子どもたちもクリアに動きが分かる。
 言葉が削られれば、それだけ子どもたちの活動時間が確保できる。単純に子どもたちの活動時間は多ければ多い方がいい。

 言葉を削るという意味では、その取り組みは4月から始まっている。
 削られた教師の言葉を的確に聞き取り、行動できるようにするのは、研究授業だけでは無理だろう。

 ノートに書かせる指示、話し合いを進める指示、教科書を読ませる指示など、教師が発する言葉はたくさんあるけれど、一定のルール化ができていれば、最低限の言葉で子どもたちは動きを理解する。
 場合によっては、〇〇の次はいつも〇〇をしていたと子どもたちも理解できるようになれば、指示そのものを出さなくていい。

 子どもたちがノートに書くときのていねいさや速さも、四月から伸ばしておくべきことである。
 研究授業でどれほどのいい指示ができたとしても、その指示で動く子どもたちの反応が悪ければ効果は半減である。

 そう考えると、学習の進め方に関する問題は、研究授業の準備には入らないだろう。
 4月からテンポのいい授業をやっており、それに子どもたちも慣れているのなら、特に研究授業の準備はいらなくなる。

 こうやって突き詰めていくと、研究授業だけの準備というのは、ほとんど何も残らない。(笑)
 いつもの通りにやる、というのが研究授業を行う時の基本的なスタンスとなる。

 特別な準備も用意も不要である。
 これを、研究授業の時だけ何とかしようと思うから、掲示物が増えたり、事前に子どものプリントを回収して発言をコントロールしようとしたりするのである。

タイトルとURLをコピーしました