出席とは何を指すのか

現代教育論

 学校現場に個人用PCが急速に導入された。長い目で見ればいいことなのだろうが、今までにない新しい課題が生まれている。

 コロナウイルス関連で欠席をしなければならない状況が生まれた。学校全体が休校になることは今ほとんどないが、学級全体が休みになることや、個人で休みになることもある。

 ここでオンライン授業が登場する。

 学校に実際に行かなくても、オンラインで授業に参加すれば出席になるのか、これは実は厳密にいえば判断が難しい。

 インフルエンザの時は、罹患すれば出席停止であった。しかし、コロナウイルスの場合は濃厚接触者という判断がある。罹患者本人も症状がおさまっても感染拡大防止のために一定の期間自宅にいることが決められている。こういう状況の中でオンライン授業を受ければ出席なのか。

 これまでは、通常であれば朝から教室にいないと遅刻であり、早めに帰宅すれば早退であった。オンライン授業の場合は、遅刻、早退の解釈をどうするのか。

 コロナ対策で始まったオンライン授業を「出席扱い」にすると、それ以外の理由の場合はどうしたいいのかと、当然保護者から質問が出る。足を骨折して動けない場合、まさにオンライン授業はぴったりだ。しかし、これは出席になるのか。

 不登校の子どもでもオンライン授業には参加する場合もある。これは出席なのか。

 保護者の所用で、遠方に出かけていて、そこからオンライン授業を受けることも可能であるが、これは出席になるのか。

 一つの事例で「出席扱い」が可能と言えば、「なぜこれはダメなのか」と質問が出る。

 出席扱いの幅広がり、子どもたちも慣れてきたら今度は「今日は気が乗らないから家から授業を受けます。」という要望が出る。「父親が久しぶりに単身赴任から帰ってきているので父親と一緒に家でオンライン授業を受けます。」という希望も出る。

 オンライン授業に参加はしているが、回線の状況が悪く、途中で途切れてしまった場合はどうなるのか、回線はつながっているが結局一度も顔を見せなかった場合はどうなのか。

 今、公教育で「出席とは何か」という根源的な問いかけが行われているのだ。
 しかも、その問いかけへの答えは、なし崩し的に出されようとしている。

 オンライン授業を出席扱いにしようが、やめようが、どちらでもいい。
 この国の公教育としての明確な原則が必要である。

現代教育を斬る indexへ

タイトルとURLをコピーしました