子どもと共にある

現代教育論

 公立の小学校や中学校が(同じ学校でありながら)、高校や大学と大きく違うところがある。

 それは、小学校や中学校は、その地域に子どもがいるから学校が存在する。

 大学は(高校も)、反対の場合が多い。
 大学ができれば、そこに学生が集まる。学生が集まるから、店などができ、そこに町が生まれる。学生と共にある町は我が国の中にもたくさんある。

 この違いは、決定的に大きいと感じることがある。

 たった一人であろうと、そこに子どもがいれば、学校という体制が整えられる。校舎があり、教具をそろえ、教師が来て、教育が営まれる。

 制度としては「義務教育」だといい、とり方によっては「まず学校があり、そこに子どもを行かせる」というように受け取られるが、事実は反対である。
 子どものいるところに学校を作り、教育を営むという大原則があるのだ。

 反対に子どもがいなくなれば、その地域での学校の役割は終わる。
 小学校や中学校は、常に子どもと共にある。

 これは小規模の学校の話だけではない。
 多くの子どもたちが集まる学校も同じだ。大規模校には、大規模校としての学校制度があり、教育が営まれるのだ。

 子どもたちの人数によって、教師の配置数も変わる。
 子どもが増えれば、教師の人数も増え、子どもが減れば教師の数も減る。
 公立の学校は、子どもありきの制度である。

 子どもは地域の中で生まれ、家庭と地域に守られて育つ。
 そう考えると、まず地域があり、そこに子どもがいて、初めて学校は存在するという構造になっているのだ。

 それは決して、学校が地域に阿るという意味ではない。地域の言いなりになる学校がいい学校とは言わないだろう。
 時に、専門家として地域や家庭に積極的に語りかけていくことももちろん大切だ。

 ただ、教師という仕事は子どもと共にある、という大原則を制度の中に見い出したときに、自分の立ち方も見いだせた気がした。

 

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