教育効果としての「生産性」

働き方改革

 計算ドリルを何回もさせるという文化が、学校の中には未だに残っています。それを宿題にして、教師も翌日に必死になってチェックをします。いつまでも達成しない子どもを放課後残したり、保護者に電話をしてまでもさせようとします。
 大量の計算練習は、見合うだけの効果はありません。(参照)

 子どもの負担だけでなく、教師の負担も保護者への精神的な圧力も合わせて、莫大な労力を要していますが、それに見合うだけの効果は上がっていません。

 費用対効果が低い、今風で言えばコスパが悪いのです。

 漢字練習帳に毎日漢字を書かせる方法も、コスパが悪いです。そのようなことをしなくても子どもたちは漢字テストで高得点をとり、日記や作文で漢字を使うようになります。
 そのような宿題を一切やめても結果が出るようになったときに、保護者からも「今まではいったいなんだったんだろう」と思われます。

 取り組ませている教師に悪意は微塵もありません。子どもに良かれと思ってさせているのでしょうし、だからチェックも頑張っているのでしょう。
 それでも、もっとシンプルな方法でも成果が出るのであれば、あえて苦労の道を進む必要はありません。

 中には「いや、そうやって頑張るという事実を作ることも大切だ」という人もきっといるでしょう。

 しかし、その考えは時代の流れに取り残されようとしています。
 しなくてもいい努力をさせられた結果、時間もエネルギーも失っています。計算ドリルや漢字練習帳をやめても効果が出るのであれば、やめた分だけほかのことに時間もエネルギーも使えるのです。

 それが読書かもしれません、今ならICTを使った自学かもしれません。
 教師も同じです。休み時間に必死になってドリルや漢字練習帳を見ている時間がなくなればもっと子どもとゆったりと話ができているかもしれません。ほかの教科のノートチェックやテストの採点をすることで放課後の時間を浮かせることもできるかもしれません。

 給料に反映するかどうかはともかく、より効果的な指導へシフトチェンジしていくことは誰にとってもいいことであり、教師の自己満足で終わってはいけないのです。

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