教師の誇りを傷つける研修

現代教育論

教師の研修

 教師が学び続けることは、教育公務員特例法に書いてなかったとしても、必要なことであろうと思っている。
 教育すべき内容は常に変化もしていくから、そもそも内容もバージョンアップしなければならない。

 その上、指導法もやはり変わってきた。特別支援教育の視点を取り入れた新しい指導法が次々と提案されている。実際にその指導で効果が上がったという事例もある。ここは新しい情報のインプットも必要であろう。

 このほかに例えばアレルギー対応や防災・救命に関する研修も必要となるだろうと思う。
 こうしたことは、教師でなくても仕事によっては、人の安全に関わる内容として、学び続ける必要がある。

 ところが、中には首をかしげてしまうような研修もあった。

 今でこそなくなったが、初任者研修の一環として民間企業への研修というのがかつて存在した。
 (全国でもなくなったのだろうか。)
 どんなものであれ「自分以外、みな師である」と思えば確かに学びもあるだろう。それを分かった上であえて書いている。

 話によると、大学卒業してからすぐに教師になると、世間のことが分からなくなるから、民間に行って社会体験をしろということだったらしい。
 繰り返すが実際にこの研修を経験した後輩もたくさんいるし、彼らからも学びは多かったという話も聞いている。

 しかし、制度としてこの研修を組むことには今もって反対である。

 まず、このざっくりとした「民間」という枠組みに違和感を覚える。
 研修に行くのだから、当然そこには、学ぶべき何かがあるという設定であろう。それがざっくりと「民間」ということは、うがった見方をすれば民間であればともかく世間知らずの教師を研修してくれるということなのか、と思ってしまう。

 マナー講座のようなものではなく、校区の企業を探せというのだから、志している目的の割にはシステムがざっくりである。
 後輩も、校区のコンビニでまるでアルバイトのような仕事をしていた。
(このくらいなら、学生時代に経験がある人も多いのではないか。)

 そして、この制度が教師だけに適用されることが何とも不思議である。
 大学を出たばかりの人が社会勉強として、というのであれば教師以外にも、この研修システムを適用しなければならない職種はいくらでもある。

 すると、「教師は子どもが相手だから特別」という論法を振りかざす人がいる。
 それこそ語るに落ちるとはこのことである。

 教師が専門職であるならば、子どもに話すための固有の話し方があるはずだ。(私は実際にあると思っている。)
 その話し方をこそ、まず研修で教えるべきであろう。
 それが授業における教師の話し方とは何かを、教えることができない先輩や管理職が大半である。
 簡単に言えば教室における子どもへの話し方は放置されていると言っていい。

 指導がなされていなければ、お若い先生方は学生時代と同じような話し方をしてしまう。そして、、子どもに言葉が届かずに、教室が荒れてしまうことがある。
 それでも多くの場合は、困った教師自身がいつのまにか話し方を身につけていき、おさまっていっているようであるが。

 プロとしての話し方をトレーニングされないから、その延長上で、保護者など大人への話し方にも当然注意が回らない。
 だから、大人への対応で失敗することがないように・・・・ということで、先の「民間」への研修になったのではないか。
 つまり、一番重要な子どもへの話し方を放置したまま、対保護者、対社会の研修を優先させているというシステムになっている。

 話し方と言えば、時々プロのアナウンサーが話し方講座をやってくれます、というような案内が学校にやってきていた。(これは教委主催ではなかったと思うが。)
 行ったことはないが、きっと発声や口形などを教えてくれるのではないかと想像する。

 こういう研修を見ると、個人的には非常に腹立たしい。
 アナウンサーが話のプロであることは認めている。
 しかし、教師とて同じくらいに話のプロであるはずなのだ。

 アナウンサーは、教室にやってきて、子どもたちを引き付けるような話し方ができるのだろうか。できるわけがないと思っている。
 それは、一言で話し方と言っても目指すところが全く違うからだ。

 劇団の役者さんは、アナウンサーに話し方を学ぶだろうか。
 お笑い芸人のみなさんは、どうだろうか。
 話すことを自分の仕事の軸に据えている人はたくさんいるが、だからといってアナウンサーを頂点としてピラミッドがあるわけではない。

 教師に向かって話し方を教えてやろうという主催者側の上から目線も嫌いだが、それをありがたがって聞こうとする教師の方にも問題があると思っている。

 アナウンサーが話すように教室で授業をしたからといって、子どもたちが目を輝かせてくれるわけでもない。

 これは教師の世界に、今なお確立した技術論、方法論がないことが最大の原因であると思っている。

 と同時に、こうした研修のあり方は、教師の心の中にマイナスの要因を生み出していると思ってきた。
 校区のコンビニでアルバイトもどきをすることが研修であり、畑の違う職種から本当はあまり役に立たないことを教えてもらうような研修ばかりをしていると、教師本人が社会に対して、自分の職務に誇りを持てなくなる。
 そして、社会そのものも教職を軽んじる。

 教師は教師で、他の職種にはとうていまねのできないような高い技術を自覚し、それを縦横無尽に発揮できるような研修をすべきなのではないか。

 教師の誇りをボロボロにしてきたシステムは、ひそかに20年くらい前から存在していたと思っていた。

 今、この仕事がブラックだと揶揄される遠因に、こうした教職の地位を引きずり下ろすようなシステムがあちこちに埋め込まれていたと思っている。

 今回、教師のための話し方講座を開催する。
 詳しくはこちら「2023,07,01 教師のための話し方講座」

 
 教育の素人さんにはたどり着けない、プロの話し方とは何かを明らかにしていく予定である。
 構想を考えていると内容がてんこ盛りになってしまい、どれを削ろうかと悩むくらいである。

 教師の世界で、一つでも多くこうした情報を共有し、教師の誇りを守りたい。

 

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