子どもの感覚を「比」で考える

初等教育論

子どもの感覚 比で考える

 子どもたちの感覚を想像するときに、「比」の考え方を用いるとイメージしやすい。

 子どもたちは、よく大人の年齢を聞く。「先生、何歳?」と。
 「想像してみて」と答えると、それはもう適当に答える。教師としては何となく年齢相当の返事を期待しているのだが、子どもたちは全く適当である。(笑)

 例えば、8歳の子どもがいる。当たり前だが、その子どもはまだ8年しか生きていない。だから時間の感覚も8年が最長である。
 2倍の16歳のお兄さん、お姉さんの生活ですら、全く想像ができない。

 50歳の大人がいれば、ちょうど2倍の100歳をどのくらいイメージできるだろうか。
 かなりあやふやである。

 8歳の子どもが40歳をイメージするなら、5倍先である。50歳の人が250年後を想像するようなものである。分かるわけがない。

 子どもにしてみれば、20年先も100年先も、それほど感覚は変わらない。要するに遠い先の話なのである。

 反対に、8歳の子どもの4年前とは、人生の半分である。
 これは50歳の25年前と同じだと考えるといい。

 実は、小さな時の記憶というのはほとんどないので、2歳分くらい、差し引かなければならない。8歳の子どもは記憶があるのがぎりぎり6年間だとすると、4年前は人生の3分の2である。

 50歳と比較すると、34年前、17歳くらいに相当する。

 時間の感覚が大人と子どもで異なる理由は諸説ある。心拍数がその生物の単位時間になるという考えもある。
 正確なことは分からないが、とりあえず比で考えるだけでもイメージはできる。

 小学校6年生は12歳、(転校しない限りは)なんと人生の半分を同じ小学校で過ごすことになる。子どもにしてみれば、小学校とは人生そのものといってもいい。
 6年生が中学校に進学する時の不安な気持ちがなんとなく想像できる。他を知らない子どもたちの新たな旅立ちなのだから。

 子どもたちが雲梯に挑戦することをイメージする。
 慣れない子どもたちは、ぶら下がるだけで怖い。なぜなら地面がはるか彼方に見えるからである。

 自分の身長と同じくらいの高さがあると想定しよう。
 大人も自分の身長と同じ高さの場所にぶらさがろうと思うと、ちょっと怖い。いや、慣れてなければ相当怖い。

 子どもたちが階段を上がるとき、膝までの高さと段差を比較するといい。
 小さな子どもなら、段差と膝までの高さがほぼ同じだとする。大人も自分の膝の高さと同じだけの段差を20段も登れば、どんな状況になるか予想がつくだろう。

 跳び箱の大きさ、走り高跳びのバーの高さ、水泳の25m、いずれも同じである。大人から見る感覚とは違った見え方がしているはずである。

 大人から見える感覚よりも、はるかに大きい。それは絶対的な長さや高さの問題ではなく、自分の体と大きさと比べるからである。

 重さ、太さ、なども同じだろう。
 タブレットPCを家に持ち帰ると、ランドセルが重たくなる。教科書を含めると、10kgを越えることがある。
 体重が30㎏の子どもが、10㎏のランドセルを背負う・・・
 お分かりだろう。単なる10㎏ではない。体重の三分の一である。体重72㎏の大人なら、24㎏のランドセルである。

 子どもの感覚を少しでも理解できるようになると、気持ちにも寄り添いやすくなる。

 「いやあ、その気持ち、わかるなあ」と思えれば、かける言葉も、指導方法も、少しは変わってくるのではないだろうか。

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