教科書活用7 子どものため・教師自身のため

初等教育論

 ここで一度、働き方改革の観点にもどる。

 教師は教科書を使っているので、プリント用意することも、ノートに張り付けるコピーを用意する必要もない。ヒントカードなど論外である。

 教科書を見ながら、前の時間から付加される新しい内容にうちて説明の仕方だけを考えればいい。

 もし時間に余裕があるなら、教科書の練習問題を実際に教師自身も解いてみるといい。
 実際に解いてみると、どうしてあまたある例題の中から、教科書がこの数値の問題を出しているのか、その意図が分かっていくる。
 何百通りもある筆算の中からわずかに6問程度を厳選するために、それなりの根拠があるのだ。
 それに気づくことができれば、授業の本番で子どもたちに対応することもできる。

 繰り返す。

 プリントやコピー、ヒントカードを用意時間と比べれば、なんと効率がよく、しかも子どもたちに寄り添っているだろうか。

 しかも宿題は基本的に不要なのだが、仮に出した問題が教科書の練習問題と同じ問題を数題出しただけだとすれば、チェックするのもとても簡単である。この程度であれば友だち同士で確認させても1分で終わるくらいである。

 教科書を使いこなすだけで、今までどれだけ無駄な時間を使ってきたかが実感できる。

 決して雑な授業をするわけではない。むしろ確実にていねいに授業ができる。子どもも毎時間手ごたえを感じる。そして、教科書がベースだと知っているので、分からなければ自分で教科書をたぐって自分で解決しようとする子どもも出てくる。

 教科書の問題を何度もやって自分で習熟を目指すことを自学とする子どもも出てくる。

 教科書を見せないでいたときよりも、子どもははるかに自主的になり、能動的になる。自分のやっていることに手ごたえを感じるからだ。

 しかも、授業時間はほぼ計画通りである。時数を大幅に超えることなく、淡々と進むことができる。

 誰にとってもプラスになる授業なのである。

 そしていよいよ単元のまとめに入る。
 ここには今までに身につけた割り算の筆算の技能を生かして解くような、発展的な問題が出てくることがある。
 ここでこそ、自力解決の出番である。そして、交流活動の出番である。

 新しいことを学ぶ単元の初期には、すでに知っている子どもと、全く知らない子どもの情報格差が大きすぎた。だからこの状態で自力解決をさせると授業が崩壊するのだ。知っている子どもと全く知らない子どもが同じ空間で同じ問題を出されればどうなるか、予想は簡単につく。

 これに対して、まとめの段階であれば、少なくともかなりの人数の子どもは筆算ができるようになっている。塾に行っている子どもたちとの格差は、いつの間にかかなり埋まっている状態である。

 その中で自力解決をさせたり、交流活動をさせると、学級全体が活気づくのはイメージとして理解できよう。

 ついでにいえば、まとめの問題には答えがない。答えを見て解決することができないのである。教科書を見せても、何の心配もない。

 私はこのまとめの問題を2回はさせたいと思っている。一度は家で、もう一度は学校で、である。家と学校のどちらが先かは状況による。一度家でやって、学校で答え合わせをしてもう一度挑戦させてもいいし、その逆でもいい。

 いずれにしてもこのまとめの問題を自力で解くことができるようになれば、単元の内容を習得できたと判断できる。

 教科書を見せずに取り組んできた授業では、個人差を埋めることができず、授業で話し合いばかりをやって習熟は宿題に依存する。宿題に出されてもやり方が分からなければ手も出ない。助けを求めようにも教科書は使ってないからどうしたらいいかもわからない。

この状態でまとめの問題を解いても、結果は推して知るべしである。

 算数テストをしたときに、裏の問題がボロボロの学級をしばしば見る。ひどい時は裏が0点のオンパレードになる。子どももおもしろくはなかろう。

 筆算のやり方を自力でできるようにさせるのではない。そこは繰り返し練習させて、力をつけさせ、その力を試すまとめの問題をこそ挑戦させる。そして、そこも自分でできるまで取り組ませる。  教科書を使えば、そうした授業が無理なく実施できる

教科書活用シリーズ

教科書活用1 情報の宝庫
教科書活用2 完成度
教科書活用3 見せない現場の教師
教科書活用4 道に迷う子どもたち
教科書活用5 見せない根拠が粗雑
教科書活用6 手順は教科書通りでいい
教科書活用7 子どものため・教師自身のため

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