教科書活用2 完成度

初等教育論

教科書活用 その2

 教科書は完成度が高い。
 学習指導要領に則り、多くの出版社がしのぎを削って編集している。検定に合格しなければ採用されない。
 採用されて現場で使われるようになっても、要望は次々と出版社に出される。たくさんの人の目を通過している。
 長年の蓄積がある。(何と言っても、教科書を作ることだけを専門の仕事にしているわけだから。)そこには論理的なバックボーンもある。
 教師の自作プリントなどそもそも歯が立たないのだ。

 その上、教科書は無償配布である。義務教育であればだれでも手にすることができる。しかもみんなが持っているということは、教師も指導しやすいうえに、子ども同士も情報共有ができる。

 教科書は「本」である。
 つまりそこには順序があり、全体がある。
 目次を見れば何の勉強があるのかを一覧できる。どの順番で勉強するかも分かる。そして、一年間でどれだけ勉強するかも見通しが立つ。

 手元に置けば、いつでも見直しができる。分からなかったり忘れてしまえば、いつでもページを広げればいい。何度でも使える。必要があれば自分で書き込みもできる。

 これに子どもたちにノートを使いこなすように指導ができれば、かなりのことができるようになる。ノートに情報の一元化ができれば、子どもたちも分かりやすいし、物をなくすことも減る。時間の無駄も紙の無駄もなくなる。

 その教科書を、残念ながら使いこなせていない。隅から隅まで子どもたちが使い切るように指導するだけで学力は必ず上がっていく。

 それにもかかわらず、その教科書の利点をわざわざ見逃し、代わりに自分で教材を作ろうとして、膨大な時間を費やしてしまう。

 私が教師になったばかりの頃、(組合的な思想が強かったせいか)教科書を使うのは教師の自主性の敗退であり、体制への迎合であると思っていた先輩が本当にいた。自分でプリントを作ったり、教材を準備するのがいい教師であるという風潮が、教師だけでなく保護者にもあった。

 そうした文化の残影が、今でも残っている。それもかなりの割合で。

 教科書に示されている写真や図は、隅々まで配慮されてある。
 例えば理科の教科書にある実験をしている子どもの写真などは、手の向き、実験器具の見せ方、あるいは着ている服の色まで考えつくされている。
 試験管の中の液体がどの様子なのか分かるように、背景の色が白であったり黒であったりしている。もちろん実験している子どもの服が試験管の後ろに見えるような失敗はしていない。

 植物の写真は特徴が分かるような典型的な例を掲載してある。
 私は実際の成長の様子を花壇に見せに行く前に、教科書を見せることが多かった。子どもたちは立体のものよりも二次元の方がとらえやすい、情報が少ないからだ。
 だから、教科書の写真を一度ノートに写させて、それから実際に観察に行くような方法を採ることもあった。
 メダカの雄雌の判断も、まず教科書で確認してから、実際に見せた方がすぐに分かる。

 実物を見せることはとても重要だ。しかし、大人と違い初めて見るときに子どもたちの意識が、教師の見せたいところに集中するとは限らない。実際の植物を見せに行ったにも関わらず、その茎にいた小さな虫に意識を持っていかれることもある。(それはそれでいいという人もいるだろうが、ねらいの達成にはならない。)

 教科書の言葉は厳選してある。
 算数のまとめをさせるなら、教科書の言葉をそのまま使うのが一番効果的である。
 言葉がぶれない。本来数学にはきちんとした定義があるのだから、それに沿った言葉で整理しておく方が系統をはずさないのだ。
 これは理科でも同じである。

 教科書を見れば書いてあるものを、毎回ノートに書かせるのは時間の無駄である。
 書く時間があれば何度でも音読、あるいは暗唱させればいい。空いた時間を使ってもう一問問題を解いて確かめるという方法だって採れる。
 ノートに書かせるのですら無駄なのだから、ましてやプリントを用意し、そこに書かせるなど何重にも無駄である。

 子どもたちが教科書とノートを自分の学習の基地として使いこなせるように指導するだけで、教師の指導は格段に効果が上がる。準備の時間は激減する。(テキストが手元にあるのだから)遠回りが自分の首を絞めていると気づけばかなりの時間は削減される。

教科書活用シリーズ

教科書活用1 情報の宝庫
教科書活用2 完成度
教科書活用3 見せない現場の教師
教科書活用4 道に迷う子どもたち
教科書活用5 見せない根拠が粗雑
教科書活用6 手順は教科書通りでいい
教科書活用7 子どものため・教師自身のため

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