読書指導 感想文は書かせない

図書指導

 今は図書館にあるPCで、図書関係の情報を一元的に整理できる。便利な時代になったものだ。
 子どもたちが、いつどんな本を借りたのかも一目瞭然であるし、貸し出し総数の学級比較も簡単にできる。
 こうした情報は、適宜子どもたちに公開する。

 学校全体の中で、どの本が人気があるのかも分かる。だから、そうしたデータを引っぱり出して紹介することもあった。

 デジタルで情報管理ができるようになってから、貸し出しに関する記録を手書きで残させることはほとんどやったことがない。
 手元に記録があると、目安になるのだろうが、ページ数や冊数を増やすために本を読むのではなく、ただ本を読んでもらいたいだけなので記録を残す手間は省いた。
 子どもたちが読み慣れてくると、こうした記録はあまり意味がなくなる。ただし、自分で好きにやっている子どももいた。それは特にやめさせることはなかったが。

 読書感想文はほとんど書かせたことがない。
 賛否あるだろうが、私はあまり意味のある活動だと思っていない。

 先にも述べたように、子どもにとって心に残る本というのは、いつどこで出会うのか分からない。
 (参照「偶然の出会いを待つ」)
 本人にも分からない。感想文を書かせたときに、一番心に残った本に出合う可能性はさらに低いだろう。それほど気に入らなかった本で感想文を書かせることにも意味を感じない。

 また、感想文を書く前提に物語を読んでいないといけない。図鑑や資料集では感想文は書くことができない。書いてもいいと思うが、世間ではそれを読書感想文とは認めない。
 図鑑に熱中することはいいことである。少なくとも私はそう思っている。好きならば、とことん図鑑を読み込めばいい。本気で隅から隅まで読み込んだら、相当な情報量を獲得したことになる。 

 この状態だと、まず感想文を書くというゴールが先にあり、それに合わせて物語の中から題材となる本を選ばなければならなくなる。本末転倒である。

 指導にもよるだろうが、感想文を書かせることで読書が効率よく進むようになったり、本が好きになったりすることはないだろうと思っている。
 だから、夏休みの宿題などでも、出したい子どもだけが出すシステムになっていたのもあり、強制していなかった。それでいいと思っている。

 読書感想文を書かせるための指導はある。その紹介は他に譲るとして、仮に指導をしなければ、ほとんどの感想文は「長いあらすじ+おもしろかったです」というような形に陥る。
 そうならないために感想文の指導をするのだろうが、第一の目的は読書そのものであるから、感想文の指導は作文の指導であって、読書そのものに大きな貢献はしない。
 さらには読書感想文というスタイルの作文は、発展性がないと考えている。この能力を子どもたちが他へ転用する機会は、他の作文と比べてもかなり低い。感想文は感想文のためだけにある。限られた時間の中で、本を選び、作文指導を行ってまで書かせるものかと、いつも疑問に思っていた。
(書かせている指導を否定しているのではない。あくまでも個人的な考えである。)

読書指導ラインナップ
 本好きにするための指導群

 01 図書館は宝の山
 02 偶然の出会いを待つために
 03 初日の指導は図書館探検
 04 図書館利用マナーを教える
 05 高学年でも貸し出しは増える
 06 読書感想文は書かせない
 07 読書量の目安はどのくらい?
 08 学級文庫は必要か?
 09 読解力と読書は直近では無関係
 10 国語教育と読書は別物として考える
 11 子どもの目の動きを読む

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