通信表の所見 指導に一貫性を

教育技術シリーズ

通信表の所見の書き方

 教育現場の働き方改革の結果、通信表の所見の回数が減ろうとしている。今まで年に3回書いていたものが、2回、そしてついに1回でもいいというところも出始めた。

 この所見の書き方は、もうそれはばらばらである。
 初任者が、初めて書いた所見(の下書き)を管理職に見てもらうことになった。

 まず学年主任に見せて、初任者指導員に見せて、教務、教頭、そして最後に校長と順に見せて指導を受けることになった。
(これだけ見せる必要があるのかと思うが、そういう流れで話を進める。)

 誤字脱字、文のねじれなど、言葉の指導を受けるのはいい。むしろありがたい。

 しかし、どんなことを表記すればいいのかという突っ込んだ話になると、思っていることがそれぞれ違う。

 だから、指導教官の指示に従って書き進めたら、それを教頭におかしいと指摘される、というような話はよく聞いた。
 教頭の指導で書き直したら、さらに校長でまたひっくり返され、元の方がよかったという笑うに笑えない話もある。

 壮大な時間の無駄である。
 何度も書き直す初任者の時間が無駄になっているのはもちろんのこと、指導教官の時間も、教頭の時間も無駄になっている。
 こういう段取りで進むのなら、まず校長から何を書くべきかという方針が出されるべきであろう。それは大まかなものでいい。
 指導教官や教務、教頭が見るとすれば、個人の考えではなく校長の考えに沿って指導をすればいい。そうすれば、少なくともひっくり返ることはない。

 あるいは、方針が確定しているのであれば、最終チェックをする人を一人に決めておく方法もある。例えば教頭が最終チェックをするので、校長まで見せないでいい、というようにである。

 きっと、そのような合理的な方法を採っているところもあるだろうと思う。

 保護者のクレームへの対応を考えてのことだろうが、文章に完璧はない。誰かがいいという文章が、全ての人を納得させるわけでもない。どこかに落としどころが必要である。

通信表の所見シリーズ
 1 指導に一貫性を持たせよう
 2 所見ではほめよう
 3 それは過去を見るもの
 4 自分の書き方のパターンをつかむ

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