あいさつは個人でできてこそ

教育技術シリーズ

 学校では、そろってあいさつをする場面が多い。あいさつという体験をつませるには、それが効率的だし、集団としてのふるまいの指導ということもあろう。

 しかし、本来のあいさつは個人でできてこそ意味がある。

 集団でのあいさつは、儀式的、形式的な意味あいを持ち、指導の仕方によっては単なる反射行動で終わる。

 例えばゲストティーチャーが来た時に、あいさつをする。学級や学年でそろってあいさつをする。その時に声が出ていて、礼ができるようにすることは、最低限の指導である。その指導ができていなければ先には進めない。

 全体でのあいさつの指導は、個人への布石だと考えている。

 個人でもあいさつができるようになるために、集団の中で声を出す練習をすることや、所作のありありかたについて指導する場だととらえる。

 子どもたちにもその話をする。

 例えば英語のゲストティーチャーが来て、英語ルームのような場所で授業を受ける。

 子どもたちは、授業が終わって教室に帰る。この時に、子どもたちがどのように動けばいいのかを教えなければならない。

 一言でいいから、自分であいさつをして帰るように指導するのだ。できれば「ありがとうございました」以外の言葉を添えられるといいのだが、それは子どもたちの年齢やこれまでの身につけ方によって違ってくるだろう。

 ゲストティーチャーにしてみれば、一人一人があいさつにくるのは面倒に感じるかもしれない。しかし、ここは教育の場だと思ってもらうよう話をしている。

 個人であいさつをするように子どもたちに話をしておくと、授業そのものの関わり方も親近感が増してくる。子どもたちもよく話しかけにいくようになる。

 小さなことではあるが、こんな指導はしておいて困ることはない。長い目で見たときにこうした所作の在り方が大切に思えるときがくる。

朝の会・帰りの会・あいさつシリーズ  子どもに所作の美しさをマナーの大切さを少しずつ教える
 朝の会は基本的に不要
 帰りの会も基本的に不要
 あいさつの所作1 基本 朝のあいさつ
 あいさつの所作2 応用 帰り・給食のあいさつ
 あいさつ 個人でできてこそ
 あいさつ その価値を教える
 所作が美しい子ども お礼が言える子どもを育てる
 中途半端な活動は負の教育になる しなくていいことを教える教育

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