帰りの会も基本的に不要

教育技術シリーズ

 午後の授業が終わったら、帰りのあいさつまでの時間を限りなくゼロに近づける。
 これが目標である。
 帰りの会は、みんなが一緒に活動する(フォーマルな)時間と個人の(インフォーマル)時間の切れ目を示すことが一番の目的である。

 午後の授業が終わる。そのまま間を置かずに、帰りの会に移行する。
 先に帰りの用意をさせる教師も多いようだが、用意より先に帰りの会を始めた方がいい。
 早く終わるし、子どもたちの意識も切れないからだ。トイレ休憩が不要なくらい短く済ませればいいし、トイレに行きたい子どもたちは、行かせればいい。

 「帰りの健康観察」は最近重要なステップになってきた。
 朝のように一人ずつに確認しなくていい。「体調の悪い人や嫌なことがあった人はいませんか。」と全員に聞く。
 多くの場合、何もない。しかし、夏の暑い時に体調が悪いと帰りに熱中症になる危険もある。
 友だちとトラブルがあり、嫌なことを残したまま帰る場合もある。
 一言声をかけるだけで、言いやすくなる。そして、「みんなの前で言いたくない場合は、さよならの後言いに来てください。」と付け加えておけばいい。

 配付物は朝のうちに済ませる。重要なものだけ時間を取って、帰りの会で配る。私の場合は尿検査のような手順の説明や翌日に持ってくる場合のみ、帰りに説明していた。

 翌日の持ち物の確認(「明日は習字があるからねえ!」など)はやってもいいが、ほとんど効果はない。子どもたちの意識は帰ることのみにしか集中していない。(笑)

 1日のめあての反省なども不要である。これは賛否あるようだが、私は自分が職員室でこれを毎日させられても少しもうれしくないのでやめている。ましてや子どもである。子どもにとっての1日は、大人よりもはるかに長い。朝決めためあてが放課後まで意識を継続させ反省に生かせるかははなはだ疑問である。

 学校で決まったものがある場合は、短く効果的に終わればいい。

 その後、帰りの用意をさせる。ここは放置すると、時間を無駄に過ごす。
 (子どもは、この用意の時間をもう自由時間と思っているふしがある。)
 あいさつまでが公的な時間であることを説明し、短時間で用意を終わり、あいさつの後それぞれ過ごしていいことを確認すること。時には時間を計ったりしながら、行動を自覚させるといい。

 あいさつはていねいにさせる。これは別途書き起こす。

<念のため>
 朝の会や帰りの会をていねいにやろうと思っている教師は実は多い。
 だから、この話には反対の人も多いだろうと思う。
 主旨は、すでに述べたとおりである。雑にすませると、「雑でもいい」ということを学ぶ機会になってしまう。
 しかし、ていねいにしようと思えば時間がかかる。その割には効果がない。
 一日の振り返りという思考も、子どもの実態とそぐわない。

 そして何より、所作の美しさ、段取り、連絡の仕方など、ほとんどのことは授業がカバーする。
 授業がうまくいっていれば、朝の会も帰りの会もシンプルに進めても、何の支障もない。

朝の会・帰りの会・あいさつシリーズ  子どもに所作の美しさをマナーの大切さを少しずつ教える
 朝の会は基本的に不要
 帰りの会も基本的に不要
 あいさつの所作1 基本 朝のあいさつ
 あいさつの所作2 応用 帰り・給食のあいさつ
 あいさつ 個人でできてこそ
 あいさつ その価値を教える
 所作が美しい子ども お礼が言える子どもを育てる
 中途半端な活動は負の教育になる しなくていいことを教える教育

新・教育技術シリーズindex へ

タイトルとURLをコピーしました