中途半端な活動は負の教育になる

教育技術シリーズ

 授業の始めと終わりに挨拶をさせる学級がある。
 個人的にはしなくていいと思っている。
(正確には、しない方がいい、すぐやめた方がいいと思っている。)
 しかし、させるのであればさせ方がある。

 自分が赴任していた学校では、以下のようなパターンが多かった。

(日直)腰骨を立てましょう。(全員)はい。
(日直)今から〇時間目の学習を始めます。礼。(全員)よろしくお願いします。

 多少の違いはあるが、おおむね同じである。
 繰り返すが私は担任時代には自分の授業の時にはさせていなかったし、意見を述べたいこともあるが、今回は割愛する。

 自習補助に入ると、その学級のやり方に合わせるので、この挨拶を聞くことになる。
 しかし、ほとんどの学級では合格が出せる状態ではなかった。
 つまり、あいさつをさせてはいるものの、中途半端なのである。

 日直の掛け声であいさつが始まる。それに対して学級の子どもたちが「はい」と返事をすることになっている。
 まず、この返事の「はい」を出していない子どもがかなりいる。子どもたちを見ると口が全く開いていない子どもたちが見受けられるし、そもそも聞いていたらそれがどのくらいの人数の声なのかわかる。

 始業の挨拶が必要だからさせているのだろう。しかし、実際は口を開いていない子どもたちが一定数いる。この状況は、「言われているけど、しなくてもいい。」ということを子どもたちに学習させていることになる。
 全員が毎回必ず声を出しているかチェックするまではなくても、少なくとも声を出していることの方が主流であることは求めなければならない。

 指示は出されているが指摘されるまではしなくてもいい、という状況を許すと、それはさまざまな場面に波及する。学級の緊張感が欠けていくのはこんな小さなところから始まるのである。

 徹底できないなら、しない方がいい。指示を聞かなくていいということを暗に学習させるくらいなら、挨拶なしで授業をして十分である。挨拶がなくても子どもたちは十分に学習に集中できる。

 させるなら、その意味を伝え、納得してもらい、全員ができるように指導するべきであろう。そう考えると、実はコスパの悪い指導は学校のあちこちに散在する。

朝の会・帰りの会・あいさつシリーズ  子どもに所作の美しさをマナーの大切さを少しずつ教える
 朝の会は基本的に不要
 帰りの会も基本的に不要
 あいさつの所作1 基本 朝のあいさつ
 あいさつの所作2 応用 帰り・給食のあいさつ
 あいさつ 個人でできてこそ
 あいさつ その価値を教える
 所作が美しい子ども お礼が言える子どもを育てる
 中途半端な活動は負の教育になる しなくていいことを教える教育

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