裁判所の残念な判決

働き方改革

裁判所の残念な判決

 教師の残業代支給について提訴がなされていたが、それが棄却されたというニュースがある。
 ここで詳細は割愛するが「教師 残業 裁判」などで検索するとすぐに出てくる。

 簡単に言うと「教材研究」や「テストの採点」などは業務として認められないという内容も織り込まれていた。
 一部は前進とみられる内容もあるが、全体としては教師には不本意な判決に読める。

 個人的にはこんなものだろうと思っていた。

 そもそも裁判所というのは、現行法規に則ってそれが正しいかどうかを判断する機関である。そこに裁判官の心情や要望をはさむわけにはいかない。まあ、多少の意見は判決文の中に織り込まれることもあるようだが。

 そもそも法律の方がぼろぼろだから、裁判所と言えどもそれに合わせて判決する以外に方法はない。「悪法もまた法なり」なのである。

 教材研究やテストの採点を業務だと認めたときに、今度は新しい問題に直面する。
 では、どのくらいの時間が必要なの?全員必要なの?ベテランと若手も同じ?それって個人の能力や見識の問題に左右されませんか?というような問題である。
 教師によっては、宿題の出す量も違うだろうし、その処理の時間も違う。学年や地域の状況によっても異なる。

 個々の業務について、これが勤務に該当するかどうかを、裁判所という場所で判断してもらうのは無理がある。これはあらゆる業界に言えることではないだろうか。

 どんな仕事にも本業の準備という部分が存在する。それらを外部から判断するのは極めて難しいと素朴に思うのである。

 かといって、裁判官個人が学校の教師に冷淡であるとも思っていない。
 おそらくはさまざまなところから伝え聞いてもいるだろうし、多少の同情はあるかもしれない。

 繰り返すが、裁判所という場所はそうした感情に左右されてはいけないところなのである。冷徹に法を執行する場所である。

 また、今回のようは結果が出てしまえば、今度はそれが先例となる。裁判というところは、判例主義なので、前にどのような判断が出たかで、次の裁判も影響を受ける。これから同じように訴訟を起こしたとしても負け続ける可能性が高くなる。

 この裁判所の結果を見て、「裁判所すら認めてくれなかった」と批判をしているだけでは、現状は一歩も進まない。

 一つ違う視点で切り込んでみたい。

 個人的には計算ドリルを2回も3回もさせることに反対している。そのようなことをしなくても、学力は身に付く。作業量の割には成果の少ない、いわゆるコスパの悪い課題であると思っている。
 勤務していた学校でも何度も話をしたことがある。

 しかし、変えない教師は変えない。楽な方法があるというのに、耳を傾けようとしないし、頑固に方法を守り通そうとする。

 子どもや保護者がどう思っているかは置いておくとしても、それは指導方法に関する主義主張だから、それ以上はどうこう言うつもりもない。

 ただし、「計算ドリルのチェックをしなければならないから、忙しい」と言われたら、それはちょっと待ってくれ、と正直なところ思ってしまう。

 そのチェックをするかどうかは自分が決めたことだし、その手間についても自分で納得していることである。しかも、学力向上にはこれしか方法がないというのであれば、仕方ないだろうが、別の方法が(しかももっと負担の軽いコスパのいい方法が)あると言っているのに、変えないのはその教師の責任であろう。

 宿題チェックで昼休みをつぶしている教師も、テストの採点を授業中にせず(しかもずっとためて)職員室で延々とやっている教師も、作らなくていいプリントを長い時間かけて作っている教師も、未だに現場にはたくさんいる。

 それでいて、「教師は多忙だ。」と言われても正直、多くの教師の共感を得られるかどうかは別問題だろう。

 実は教師の仕事には、こうした個人による差が極めて大きいのである。

 だから一律に決められない部分もあるのではないか。

 もちろん、全国の教師の中には、本当に削りたくても削れないような仕事を強制されて苦労している方がいることを私も知っている。校種、地域、子どもの実態などで平均的な答えが出ないことも分かっている。

 だからこそ、裁判で出た判決から、次の手を考えていこうと思っている。
 次世代の教師のためにも、傍観しているわけにはいかない。

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